
なんでこんなにトラブルが起きるの?

素直な感想です
2024年10月14日
多分、僕はこの日を生涯忘れることはないでしょう。なぜなら、僕のカメラマン歴42年、そしてテレビや映画の撮影歴39年の中で、こんなにトラブルが続出した現場は初めてだったからです。
物語の始まりは約1ヵ月前です。
AKIさん(CEO)から「SHOKOさんにお世話になっている人、SHOKOさんに感謝をしたい人、ぜひSHOKO生誕祭のスタッフに名乗り出てください」という呼びかけがありました。それに応じた僕たちは、打ち合わせの段階から盛り上がっていました。
スタッフの集まり

TopRichやOneNessを中心に、SHOKOさんに感謝の気持ちを伝えたい、SHOKOさんのために貢献したいという思いを持った人たちが集まりました。僕も最初は会場の撮影を担当しようかと考えていましたが、「撮影は他の人でもできる。でもスライド制作は他の人に任せるのは難しいかもしれない」と思い、スライド制作に名乗り出ました。
ただ、その時点で、僕はすでに前日の東京マルシェと前々日のカラオケ交流会の主催を控えていたので、「無理かな?」と少し不安でした。しかし、主催の高山順子リーダーに「前日は東京マルシェに出展しても大丈夫ですか?」と確認したところ、快諾をもらい、準備をスタートしました。
そこから始まるトラブル・・・

ところが、準備が進むにつれて、決まったことがすぐに変更されたり、逆に決まらなければならないことがなかなか決まらなかったりしました。でも、これは仕方のないことだと思っています。なぜなら、生誕祭をより良くするために、スタッフがギリギリまでブラッシュアップを続けていたからです。その姿勢は理解しているので、特に不満はありません(^^)/
それぞれの役割と準備

感動を呼び起こすムービーは伊吹さんが作ってくれました。目玉企画である格付けクイズは大智さんが担当しました。僕は、あらかじめ「12日以降は一切作業できないので、それまでに素材が揃わなければ作業しません」と宣言していました。そのため、僕自身の準備には問題がなかったのです。
でも、振り返ってみると、このスケジュールの制限が結果的にトラブルの原因だったのかもしれません。
そして迎えた生誕祭当日・・・
part2へつづく・・・